西宮神社十日えびす行事 忌籠神事

西宮神社 忌籠神事

忌籠とは、祭典の前に心身を清浄潔白にするために外界と隔たって慎み、身を清めることをいい、祭典が重要であればある程、厳重に行われます。

十日えびすの祭典は、昔は御狩神事と言われていました。この神事自体は今では廃絶し、内容は分かりませんが、住吉大社の中にあるえびす神社で行われた記録によりますと巫女が男装し、狩りの舞踏をしていたとあります。

鎌倉時代、西宮の山手にある広田神社では、甲山の神呪寺の僧侶の妨害により御狩神事が延期されたとあります。その頃は実際に狩場に出ていた為に、領地を巡る争いがあったことが窺えます。年の始めに狩猟をし、その多寡によって穀物の豊凶を占い、豊穣を祈る古代の風習が巫女による舞踏になり広田神社から当社に伝わり、厳重に忌籠が行われるようになったのではないでしょうか。

今でも年初に各地で行われている御弓始祭や御粥占などの神事も起源は生産豊饒にあります。謹慎斎戒の後神意を窺い、その恩恵によって生産増強を希求し安定繁栄を願う、現在の十日えびすにも共通するものがあります。

室町時代には、この地方一帯で厳重に忌籠が行われていたようです。1月9日の夜には、各家では食物をあらかじめこしらえ置き、門戸を閉じていたのに、細川高国が兵を動かし地元の人に言葉を掛けたので、神罰をうけて戦に敗れたとあります。

白馬に乗って巡行されるえびすさまと畜生紺屋伝説

江戸時代には、えびすさまが白馬に乗って市中を巡行され広田神社に行かれるので、門松の松葉が神様を傷つけないように1月9日の夕刻、各家では門松をさかさにつけかえ、門戸を閉じ、もの音をたてずに静かに夜が明けるのを待ち、早朝先を争って社参したと記されています。

また、西宮浦の邪神が毎年1月9日の夜、生け贄をとるので、えびすさまの教えによって門松を逆さにしたともあります。

ある年、氏子の紺屋(染物屋)を営んでいる人が、何とか一度神様のお姿を拝せないものかと9日の深夜、便所の窓際でこっそり待っていたところ、暗闇の中から「そこにいるのは誰じゃ」と。驚いた紺屋は「私は畜生でございます」と答えたところ、何のお咎めもなくえびすさまが通過されたとか。後年この家を人呼んで畜生今夜と称し、明治年代まで子孫といわれる人も残っていました。

今では門松を逆さにする風習もなくなりましたが、宵えびす1月9日の夜の12時になると、どれほどの参拝者があっても、一旦全ての門を閉じ、午前4時の十日戎大祭を終え、忌籠の明ける午前6時まで参拝をしていただくことはできません。午前6時、大太鼓を合図に表大門(あかもん)が開かれると、外で待機していた数百人の参拝者が一斉に本殿めがけて、走り参りを行い、本殿に早く到着した順に一番から三番までがその年の福男として認証をされます。

社報「西宮えびす 平成9年新春号」