日本を代表する魚といえば鯛。祝い事に欠かせない、めでたい魚として万人に愛されています。
鯛と日本人との関係は意外と古く、縄文時代の貝塚から出土する、大量の鯛の骨には、人工的な加工が施されているものが発見され、食べられるだけでなく、特別な思いがこめられていることが分かります。
文献上では「古事記」「日本書紀」にも登場し、なかでも海幸・山幸の物語のなかで釣り針を飲み込んでしまったのが赤女魚(たい)だったことはあまりにも有名です。
また、神功皇后が熊襲征伐に向かう途中、海に酒を注ぐと、酔った鯛が浮き上がり、以後毎年6月に鯛が浮く故事も知られています。
このように、鯛を日本人が好んだ理由は、ひとつには、料理において、頭から皮まで捨てるところがないこと、そして、鮮やかな赤が古代人の太陽信仰のなかで好まれていて、魔除けの霊力として信じられたことからと推察されます。
一方、海外では、優雅な容姿や華やかな色彩に関わらず、鋭い歯で何でも食べる悪食の魚として嫌われるケースが多く見られます。
鯛をかかえたえびす様 室町時代に登場!
えびす信仰は、本来、漁村で「海幸の神」として信仰されたもの。その起源となった地、西宮に面した瀬戸内海では、鯛のよくとれる時期のことを「ウオジマ」(4、5月頃)と呼んでいます。
産卵のために藻の生えた浅瀬に集まってきた鯛の群れは性ホルモンの関係で真っ赤になり、盛り上がり、赤い鳥のようになります。
室町時代以降、特に盛んになった「えびす信仰」のなかで、鯛がえびす様と一体化したのは、この「ウオジマ」が海に浮かぶ太陽に見立てられ、「海幸の神」であるえびす様と結びついたのかもしれません。
えびす信仰は、時代が経つにつれ、「市場の神、繁盛の神」となっていくと共に、七福神信仰と合体し、現世利益を求める福神信仰として、上方からの商業文化の波に乗り、江戸をはじめ、全国に広まってゆきました。
また、鯛のほうも、様々な階層に浸透してゆきました。例えば宮中の四条流の包丁式では、室町時代までは、中国の登龍門などの易の思想や、都が内陸部にあった関係から鯉などの川魚が用いられていましたが、鯛に取って代られました。武家でも、戦国時代以降は儀式に鯛が登場し、江戸時代には御鯛所が設けられるまでになりました。
「海幸の神」えびす様にマグロを奉納
昭和44年、東部中央卸売市場開設に伴い、役員会で「市場の発展と商売繁盛を祈りたい」とえべっさんへの魚の奉納を提案。協議の結果、参拝者に見てもらうためにも、日本人好みで大きな魚を、ということで、本マグロを奉納することに決定。翌45年の十日えびすから始められました。
初秋、地中海で獲れたマグロが静岡の焼津港に水上げされると、セリで手に入れます。すぐにマグロ専用の零下50度の冷凍庫で保存、1月8日の「宮入り」を待ちます。
十日えびすの3日間、拝殿内にどっかり横たわった特大マグロは、参拝者が願をかけて貼り付ける硬貨を身にまといます。
現在、「商売繁盛の神」として知られるえべっさんもルーツは「海幸の神」。漁業の安全や豊漁を願う人々の想いは、時代を超えて脈々と受け継がれているようです。
社報「西宮えびす 平成7年新春号」